ピーアークの歩み
SINCE 1951
この小さな靴店が、
私たちの第一歩でした。
お客様に満足していただきたい。
その想いを、挑戦の源泉に。
東京都台東区谷中、タツミ靴店。当社の歴史はここから始まりました。
広さはたったの15坪。ミカン箱が陳列棚の代わりでした。
入学式で初めて履いたピカピカの上履き、運動会のリレーで一等賞をとれた運動靴、
楽しみで前日眠れなかった遠足に履いていった新調の靴。
小さい店ながら、商品を通じた想いを絆に、たくさんのお客様と「ありがとう」を交換する商いの原点がここにありました。
お客様の一言で固まった信念。
ピーアークがパチンコ事業をスタートしたのは1968年のこと。当初、私たちの中には「サービス業として、パチンコホールがお客様のためにできることが、まだあるのではないか?」という葛藤がありました。それは、「お客様が勝つとお店が損をする、お客様が負けるとお店が得をする」という業界の考え方に疑問を持っていたからです。
商いとは、売り手・買い手双方が満足してこそのはずではなかったのか。
その想いを具現化する大きな契機になったのは、あるお客様からいただいた「今日は負けたけど、たくさん遊ばせてもらって楽しかった。ありがとう」という一言でした。
エンターテインメントの価値を決めるのは、結果の勝ち負けだけではない。お客様の言葉から得られた気づきによって、私たちはパチンコ事業を通した「楽しい」の創出、その可能性を信じることができました。
これからも、お客様とともに。
1990年の「ピーアーク溝の口」を皮切りに、従来のパチンコホールとは異なる新たなパチンコの形を提案。さらに2004年には業界初のお客様センターを設置、2006年には、今や全国でも見かけないことがない低貸玉パチンコの礎を作る1円パチンコトライアルを開始するなど、新たな取り組みを次々に打ち出します。
その根底には常に、「お客様に満足していただきたい」という強い思いがありました。
ピーアークのビジネス、そして価値観は、全てお客様との関わりの中で育まれてきたと言っても過言ではありません。この時代に、まだ見たことのない「楽しい」を創り出し、今ある「楽しい」をもっと楽しくする。全ての人に豊かで明るい「Fun Life+」を届けるために、私たちはこれからも、お客様とともに成長し続けてまいります。
ピーアークの沿革
創業〜1980年代
1951
- 1951(昭和26)年
-
創業者 庄司定男、台東区谷中にて靴小売業「タツミ靴店」を開業。
1960
- 1966(昭和41)年
-
創業者 東武沿線地下鉄乗り入れを予測し、足立区竹の塚に店舗を移転。
- 1967(昭和42)年
-
株式会社に組織変更。商号「辰巳シューズ株式会社」発足。
- 1968(昭和43)年
-
事業種目に遊技場業を追加、足立区竹の塚にてパチンコ店開業。
- 1972(昭和47)年
-
商号を「株式会社辰巳」に変更。
1980
- 1980(昭和55)年
-
「パチンコ辰巳パート2」を開業。
- 1982(昭和57)年
-
足立区谷中2丁目(北綾瀬駅前)に「パチンコ辰巳綾瀬店」開業(現ピーアークピーくんガーデン)。
- 1983(昭和58)年
-
足立区谷中3丁目に「パチンコ辰巳北綾瀬店」開業。
- 1986(昭和61)年
-
庄司定男社長が会長となり、二代目 庄司正英が社長就任。
- 1987(昭和62)年
-
辰巳グループ本社ビル「タツミタイムビル」完成。外食部門発足、「ファミリーレストラン・チナタイム」オープン。
時間消費型レジャーの幕開け
名前のとおり、タツミタイムビルのキーワードは「時間」。勝ち負けではなく、ピーアークで過ごす「時間」を楽しんでいただく「時間消費型レジャー」の考え方は今も変わりません。
- 1988(昭和63)年
-
「ピーアーク構想」発表・スタート。
1990年代
1990
- 1990(平成2)年
-
プリペイドカード導入全国第1号店として「ピーアーク溝の口」オープン。
業界の常識を変えた店舗
「ピーアーク」の屋号を冠した初の店舗、ピーアーク溝の口。業界初の試みを数多く取り入れた同店の最大の特色は「スタッフの仕事は不正の監視だ」という業界の常識に、「お客様をおもてなしする」接客の概念を示したことです。
- 1991(平成3)年
-
「ピーアーク株式会社」に商号変更。
「ピーアーク谷中」オープン。業界初の全席禁煙店
ピーアーク谷中では、まだ世の中に「分煙」という概念すらなかった時代に「禁煙の時代は必ず来る」と全席禁煙にチャレンジ。少し早すぎましたが、「私たちが時代を創っていくんだ」という志は今も昔もピーアークの信念です。
- 1993(平成5)年
-
10店舗目となる「ピーアーク草加」オープン。
「ピーアーク相模原」オープン、アミューズメント施設と外食店舗からなる大型複合レジャー施設として各種マスコミに取り上げられる。 - 1994(平成6)年
-
庄司正英社長(当時)、社団法人日本遊技関連事業協会(日遊協)会長に就任。
1995
- 1995(平成7)年
-
ピーくんデビュー。
パチンコホール初、インターネットにホームページを開設。(ドメイン取得)
初の都心型店舗として「ピーアーク銀座」オープン。pachinko.co.jp !?
このドメイン、実はピーアークのものなんです。インターネット普及率が約3%だった当時、業界でいち早くホームページを開設したのもピーアークなんです。
- 1997(平成9)年
-
20店舗目「ピーアークデジタルタウン」オープン。(現 ピーアーク千葉駅前)
- 1998(平成10)年
-
埼玉県主催「第2回 彩の国人にやさしいまちづくり賞」で「ピーアーク所沢」が特別賞受賞。
「ピーアーク・チャレンジ・カンパニー制度」スタート。業界の激変と不透明な経済に対応すべく、営業部門を8つのカンパニーに区切り大幅な権限委譲と責任体制を確立。 - 1999(平成11)年
-
「ドット・コム・ステーション」が銀座にオープン。セガのドリームキャストを使用して会員にメールアドレスを提供し、双方向コミュニケーションを展開。
ピーズメンテナンス設立(2009年独立)。銀座の話題スポットに
会員になると自分のメールアドレスがもらえるドット・コム・ステーションは当時大きな話題となり、雑誌などで多数取り上げられました。
2000年代
2000
- 2000(平成12)年
-
人材派遣に特化した戦略子会社 ディーナネットワーク株式会社設立(2010年独立)。
- 2002(平成14)年
-
時間消費型レジャーから感動消費型への進化をミッションに、「ピーアーク・エンターテインメント宣言」を全店舗で発信。
東京都竹の塚に「エンターテインメント・スタジオ・ピーアーク」がグランドオープン、ピーアーク初の女性店長誕生。
株式会社サンパワー(5店舗)の株式を取得、新たな成長モデルにチャレンジ。
広告宣伝・プロモーションに特化したアークフロント株式会社設立(2011年独立)。
幕張メッセ“どきどき”フリーマーケット初スポンサード。 - 2004(平成16)年
-
「お客様・株主・取引先・社員・社会と共に」をスローガンとする「ピーアークグループ企業行動憲章」策定。
業界初のカスタマーセンターがスタート。
持株会社に移行、社名は「ピーアーク株式会社」。パチンコ事業会社5社を新設。
カスタマーリレーションサービスのデライト・コミュニケーションズ株式会社(2015年独立)、パチンココンサルティングサービスを提供する株式会社エンターテインメントパチンコ総合研究所設立。
2005
- 2006(平成18)年
-
「ピーアークホールディングス株式会社」に商号変更。
「ピーアーク三田」の地下1階にて、「1円パチンコ」スタート。
銀座6丁目に銀座オフィス(銀座ワークスペース)を開設。
ドンキ・ホーテとコラボレーションした店舗、ピーアーク長沼オープン。ライバルはゲームセンター?
今や全国的に広まった低貸玉パチンコの礎を作ったのはピーアーク三田なんです。「もっと気軽に遊びたい」というお客様の声を形にしたチャレンジは、翌年「1円〇〇」で流行語大賞にノミネートされるまでに広まりました。
- 2007(平成19)年
-
「ピーアーク銀座」が「アンチパチンコ宣言」を掲げリニューアルオープン。全席禁煙、案内放送の廃止、コンシェルジェによる遊び方の提案などを実施。
業界の常識を超えろ!
パチンコをしない人の3大理由「煙たい」「うるさい」「分からない」に一石を投じた、その名も「アンチパチンコ宣言」。ピーアークが見ているのは「業界の常識」ではなく、いつの時も「お客様」です。
- 2008(平成20)年
-
「アイ・カフェ ピーアーク竹ノ塚店」オープン。コミック中心に約3万5,000冊の蔵書を常備。
本社所在地を、東京都中央区銀座6-13-16銀座ウォールビル11Fに変更。 - 2009(平成21)年
-
「ピーアーク銀座」にて「ピーくんステーション」にチャレンジ。カフェスタイルの店内で最新台を1円パチンコで提供。
株式会社アルファドッグ・カンパニー設立(現S-P ARK)。
「ピーくんのお店」ファンパチンコ草加オープン。パチンコの新しい楽しみ方を提案
ピーくんステーションは「ちょっとお茶して、ちょっとパチンコ」がコンセプト。お昼休みやちょっとの空き時間でライトに楽しむ新しいパチンコの形を提案しました。
2010年代〜
2010
- 2010(平成22)年
-
株式会社商業界より『企業を進化させる超常識発想~パチンコ業界のイノベーターピーアーク、士魂商才経営に学ぶ~』出版。
テレビCMスタート。 - 2011(平成23)年
-
東北支援物販「復“幸”物販」や被災地へのボランティア活動などの復興支援プロジェクト「with you」スタート。
- 2012(平成24)年
-
銀座ミツバチプロジェクトに賛同し、銀座ネオに屋上庭「Pガーデン」誕生。
ラフェスタ株式会社(7店舗)の株式を取得。 - 2013(平成25)年
-
アプリサービス「P-LIFE」配信開始。
庄司孝輝副社長(当時)が日遊協会長に就任。
「ピーくんPlaza」オープン。施設コンセプトは、「つどう、たべる、たのしむ、くつろぐ」。 - 2014(平成26)年
-
「ピーアークピーくんガーデン」オープン。新時代のパチンコモデルを追求し、「30年の感謝」を「次の30年のお役立ち」へと再設定したビッグプロジェクト。
「コミュニティルーム」「シェア・プラザ」開設。
2015
- 2015(平成27)年
-
株式会社講談社より『1円パチンコを生んだ“感動”ビジネスの「非常識」学』を発刊。
庄司眞が取締役社長に就任。
使用済てんぷら油を原料に走る「ピーくんバス」が東京ワーナー観光様・TOKYO油田様と協同で運行を開始。 - 2017(平成29)年
-
株式会社NEOPARIS(2店舗)の株式を取得。
「P-KUN CAFÉ」オープン。コミュニティルーム「FunRoom」を併設。
くるみん認定取得。P-KUN CAFÉは出会いの場
大好きなメニューに出会う、知らなかった人と出会う、新しい趣味と出会う。さまざまな出会いのきっかけを提供することで、新しいFunが生まれる。そんな場所を目指しています。
- 2019(平成31)年
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bayfmでラジオ「ピーくんのFunLife」放送。
- 2020(令和2)年
-
長期経営ビジョン「Fun Life +」スタート。
- 2022(令和4)年
-
「ピーアーク相模大野」オープン。
「楽しい」を生むつながりを。